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「劫火の中になお生命ありて」 円乗山明泉寺14世住職:水谷光子

劫火の中になお生命ありて その6


 空襲が激しくなるにつれて、人々は真剣に生を見つめ、死を考えるようになっていた。『生きるも死ぬも家族一緒に・・・』という考え方が、当時の一般的だったし、私達もそう考えていた。しかし各地に空襲が激しくなり、一つ壕の中で、家族全員即死という、悲しいケースが目立つようになると、家系を絶やさぬ為に、危険を分散する必要も、論じられるようになった。家族が『父と娘』『母と息子』というように、二組に別れて、別の壕に入るとか、別の方向に逃げるという話も身近に聞いた。親達が真剣にこんな話をする時、親の悲しみもさることながら、その決定に従うしかなかった子供達は、定めし小さな胸を、切り裂かれる思いだったであろう。でもこういう相談ならまだよい。いざと言う時は、病人や老人を捨てて、身軽に逃げようという話も聞いた。事実「蒸し芋を持たせて、姑を置き去りにした時の、あの縋るような目付きが忘れられない・・・」という嫁の体験も聞かされたことがある。「でもお陰で、幼児三人は助けられたし、自分も生き延びられた・・・」と。真にこんな惨酷が許されてよいだろうか。けれども、これを批判できる人間も、またいない筈だ。極限状況に追い込まれた人間の言動を、平和な状況にあって、他人事として眺める事は、まさに傲慢であろう。夫を戦地に出征させ、働きつつ老人を看取り、子育てをしていた銃後の婦人の肩の荷は、かくも重かったのである。私自身、その場に立たされたら、何ができただろう。この女性の懺悔を後日聞いた時、余りの衝撃に背筋が寒くなり、ガタガタと暫くは震えが止まらなかった事を忘れられない。見渡す限りの焼け野原に立って、配給物資を貰うために並んでいた時に、小耳に挟んだ懺悔であった。夫は無事に復員できたのか。事実を夫に報告できただろうか。半世紀経っても、未だに気になっている。いずれにしても、彼女は終生、負い目を抱いて生きるのであろうし、姑も嫁も共に何とも気の毒な話である。戦争のもたらす悲劇は、戦場に銃後に、枚挙のいとまがない。正常な人間が狂人になるのだ。狂わなければ人は殺せない筈だ。女の身、銃後しか見ていないが、戦地での戦闘・掠奪・虐待と想像するだに、震えが止まらなくなる。そして、必ずしも本人のみの責任として、片付けられない問題を持っている。

 当時の私達世代は、戦争をどう考えていたのか。男子の学生の多くは、優秀な能力も旺盛な向学心も押し潰し学業半ばに、ペンを捨てて銃を取った。戦争末期には、国の遠い将来を展望するゆとりはなく、今直ちにお国に役立つべく、身を投げ出すことを求められた。前線で戦闘力となり、銃後で生産力となるべく、男も女も老いも若きも、一丸となって、心身をすり減らして、ひたすら働いた。そのように教育され、純粋に信じて挺身していた。自身で考えるよりも、目上の方の心をよみ、命令される前に、意図されているように、気配りし行動するように、育てられていたのである。他人事ではない。私自身も僅かな期間ながら、教える側にも立っていた。たまたま、女生徒だけの学校だったが、男子校の先生だったら、生徒を軍関係の学校に志願させるよう、仕向けるように踊らされたかも・・・。敗戦を機に、日本は民主主義の世になった。各国の歴史に見るように、勝ち取る努力もせず、戦勝国・アメリカから与えられたのであった。そして、当時の為政者の意のままに、目を塞がれ動かされていた、自身の愚かさにはっきり気付かされた。教育が一度方向を誤ると、まさに『ハメルンの笛吹き男』の話のように、催眠をかけられたようなものだった。思い出すだけでも身の毛がよだつ。

 戦争で生命を失った人々は、敵味方とも数え切れない。自ら進んで散華した人々の生命が、つくづく憶わせられる。やり残した学問や研究・仕事への情熱。父母・妻子・兄弟姉妹・婚約者・友人達への愛の絆。潔く捨てた者も、未練を残して逝った者も、断腸の思いに変わりはなかっただろう。遺された者のその後の人生も、思い巡らすだけで限りなく切ない。老いている父母・未亡人を通した妻・許婚者を失って独身のままでいる方。私の身近にも何人もいられる。この方々には、戦争は未だに終わっていない。

 劫火の中を生かされた私にとって、生命は授ったものという思いが強い。使命感を覚えさせられている。限りある生命だからこそ、燻るのではなく、十分の酸素を得て、完全燃焼させ、最期まで明るく燃え続けて尽きたい。自身の生命が大切だから、同様に他人の生命も大切にしたい。更に生きとし生きる総ての生命も、できるだけ大切に・・・と考える。大自然の恵みに包まれ、自然を愛しみ育て、自然と文化の調和した社会の中に生きたいと思う。家族・親戚・近隣・友人が幸せであってこそ、私も幸せでいられる。国と国の関係もまた同じである。主張すべきは大いに主張すればよい。しかしその解決は決して武力に訴えることなく、あくまで話し合い、理解し合うことに、総力を結集して努力したい。日本のみの繁栄は全く考えられない。また世界の孤児になることを、国民は決して望まない筈である。このことこそが、戦争体験世代の私から、若い世代への贈るメッセージである。

 戦後の国民の涙ぐましい努力によって、現在の日本は未曾有の豊かさの中にある。しかし、精神的にはどうであろうか。未来の社会を背負っていくべき青少年・児童・幼児はどう育っているか。高齢者は不安なく暮らしているだろうか。環境問題に将来の不安はないか。

 総ての人間が、生まれるべくして生まれた生命を、生かされて生きるなら、総ての人が、目を輝かせて生きていける社会でありたい。私自身に与えられた日々は、もう余り多くは残されていないだろうが、それ故にこそ、最期の日まで、ノーマライゼーションの世に向けて、充実した完全燃焼の日々でありたいと念願してやまないのである。